【ママの履歴書|2軒目】 根来美枝子さん・徳島県三好市『ゆいまーる・美ら(ちゅら)』vol.2

2021.01.31

特集

 日が暮れゆく街なかで、逆に灯がともり始めるのがスナックの看板だ。人口比で数えると、池田町は日本でも有数のスナックタウンであるとか。スナックが立ち並ぶ光景には、かつて、JT(日本たばこ産業株式会社)の工場があり、多くの酔客であふれていた街の隆盛を思い起こされる。

 数多ある池田町のスナックには、それぞれに個性があり、それぞれに魅力的なママがいる。今回から、ハイボール片手に聞いた話を中心に、ママの履歴書なるものを書いていきたい。

『ゆいまーる・美ら』で飲み始めて、小一時間。ハイボールの酔いもほどよく、隣客のカラオケも心地よく聞こえてきた。根来美枝子(ねごろ・みえこ)さんの話は、ママになる前の仕事について。。。

「最初は、この池田町内でブティックをしたのね。いつの時代も、どんな田舎でも、女性はオシャレがしたいから。その後は、ネットワークビジネスも初めて、30歳くらいからの15~16年くらいは、車で全国を飛び回っていたものよ」と根来さん。

その後、運転しなくていい仕事は何かと考え、スナックを始めたのは50歳を過ぎたとき。なんと、当時はお酒が飲めなかったとか。
「飲めないながらも、なんとかお付き合いしてね。オープンから2年間は休みなし。お店が終わるのは、早くても2~3時。遅ければ、4~5時。大変だったわよ。でも、おかげで2年間、ノーゲストの日はなかったの。すごいでしょ」と根来さん。

最初にオープンした『スナック・ゆい』のほか、『スナック・海』も含めて、現在は3店舗を運営している。
「昔は、毎日来てくれるお客さまもいれば、ツケを全然払ってくれないお客さまもいたり、いろいろあったわね。でも。。。」

「お客さまには、気持ちよく飲んでもらって、気持ちよく帰ってもらう。それだけ」

「だからこそ、そこにプライドを持って仕事をしないとね。価格も安いと思うわよ。『池田のスナックでぼったくられた』なんて思われたくないしね」と根来さんは言う。

スナックのママには必須科目のゴルフもこなし、コンペも30回を迎えるまでに。ちなみに、コンペのあとの二次会は『ゆいまーる・美ら』で、景品も沢山用意するのだが、これはゴルフのスコアに関係ないクジ引きになっている。しかも、できるだけ奥様が喜ぶものを揃えているとか。これは、帰宅後の家庭のことまで配慮してのこと。週末に、家を空けてゴルフに行く男性の状況まで考えられている。

現在は、サプリの営業もしているというが、それも多くの人に喜んでもらいたいからだという。思い起こせば、ブティックも、ネットワークビジネスも、スナックも、全部、誰かに気持ちよく、喜んでもらいたいがため。根来さんの根底には、その気持ちが強いのだろう。

コロナの影響はまだまだ衰えず、沈んだ気持ちになることも多いと思うが、そんなときは『ゆいまーる・美ら』の明るさを感じてもらいたい。

ゆいまーる・美ら
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(文/大掛達也)

 

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