【ママの履歴書|1軒目】頭師カヨ子さん・徳島県三好市『スナック・エデン』vol.2

2021.01.23

特集

日が暮れゆく街なかで、逆に灯がともり始めるのがスナックの看板だ。人口比で数えると、池田町は日本でも有数のスナックタウンであるとか。スナックが立ち並ぶ光景には、かつて、JT(日本たばこ産業株式会社)の工場があり、多くの酔客であふれていた街の隆盛を思い起こされる。
数多ある池田町のスナックには、それぞれに個性があり、それぞれに魅力的なママがいる。今回から、ハイボール片手に聞いた話を中心に、ママの履歴書なるものを書いていきたい。

1軒目の『エデン』では、頭師カヨ子さんが奏でる三味の音に耳を傾けながら、ハイボールですでに良い心地。

『エデン』がオープンしたのは、昭和54年。界隈のスナックでも最古参といえるだろうか。

18歳で池田を出て、滋賀県の彦根で働いていた頭師さん。その地で結婚と出産を経て、そこからいろいろあって、23歳で池田に戻ってきた。

「家電メーカーで働くようになったんだけど、母子家庭だったから、市営住宅にどうしても住みたくて。でも、倍率の高い抽選でね。そうしたら、その抽選に当たったの。きっと人生には何回かいいことがある。そう思えるようになったわ」と頭師さん。

もちろん、いいことばかりではないが、悪いことがあるときは、自分が試されている。そう思うようにしているとか。

会社勤務を続けながら、収入を増やすため、夜はスナックでも働くように。小さな子供は、祖母に預けた。いろいろな想いや出来事があっただろうが、2~3年そのような生活を続け、思い切って自分の店を始めることに。

「商売は素人だったけど、性根が負けず嫌いなのね。地元の酒屋さんも協力的で、支払いを待ってくれることも多かった。昔から、いつか着物を着て仕事がしたいと思っていたから、お店ではずっと和装です。そういう意味では、若い頃の夢がかなったのかもしれません」と頭師さん。

オープン当初、いまとは別の場所に店を構えていたが、1周年のイベントをした当時は、お店にもたくさんのお客様が訪れ、街中にも酔客があふれていたとか。それに比べれば、すっかりと寂しくなってしまった池田界隈。当然、お店の様子にも浮き沈みがあったはず。

「どんな仕事でも、一生懸命やるしかないのよね」

「そうやってがんばっていれば、悪い時がきても、誰かが救いの手を差し伸べてくれる。ときには、選択を迫られる場面もある。仮に悪いほうを選んだとしても、ダメなときには自然とストップがかかるもの。今は、そう思える」と頭師さん。

負けず嫌いの性分は、お客とのゴルフでも発揮された。一時は、シングルプレーヤーだったというほど。御用達のゴルフ場『琴平カントリー倶楽部』のチャンピオンでもあったとか。ときには、200人もの常連客を招いたコンペも開催した。

頭師さんは、コンペをしたときのプレー写真やスナップ写真、当時の記録などを大事に保管している。そうしたアルバムをめくりながら、懐かしそうにお話をしてくれた。きっと、古い常連客とも思い出を共有することで、懐かしい時間を過ごしていることだろう。

頭師さんは、ゴルフの写真だけでなく、三味線のライブをした資料なども丁寧に残している。

ちなみに、『エデン』という店名。これは、彦根で働いていたときによく見ていたパチンコ屋の店名から名付けたのだとか。深読みする方には、なんとも腰砕けな話ではあるが、あっけらかんと話されると、「そんなもんかな」と思ってしまう。この明るさもまた、『エデン』というスナック、そして、頭師カヨ子さんの魅力なのだろう。

スナックに歴史あり、ママに歴史あり。三味線も、阿波踊りのような軽快な音色を響かせることもあれば、人生の侘び寂びを奏でることもある。今宵はどんな音が聞こえるか、『エデン』のドアを開いてみてはいかがだろうか。

【エデン】
徳島県三好市池田町1758-2

頭師カヨ子さん
FaceBook:https://www.facebook.com/profile.php?id=100004145328141

(文/大掛達也)

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