「つたはーん」を祖父にもつ。映画人|蔦哲一朗さん〜第1章〜

2021.03.22

三好人

「つたはーん」でおなじみの元池田高校野球部監督・蔦文也さんといえば、野球ファンならずとも一度は耳にしたことがあるのではないだろうか? そう、1974年春の甲子園での準優勝以来、池田高等学校野球部の選手たちと数々のドラマを残し、同校野球部を高校野球日本一に導いたあの名監督。 「攻めダルマ」の異名を持ち、「さわやかイレブン」「やまびこ打線」というワードを全国区にした蔦監督だ。

今回の三好人では、そのお孫さんに当たる、「監督」という同じ肩書きを持つ「蔦哲一朗さん」をご紹介する。
監督と言っても野球部監督ではなく、映画製作における「監督」だ。実際に、ご自身の祖父・蔦文也さんの人物像を描いたドキュメンタリー映画『蔦監督―高校野球を変えた男の真実―』を製作し、話題を呼んだ。

作品『祖谷物語 おくのひと』が第26回東京国際映画祭「アジアの未来」部門にてスペシャル・メンションを受賞

幼少期の頃、実際に祖父から直接野球を学ぶことはあまりなかったですね。 祖父が他界したのは僕が高校1年生の頃でしたし、僕自身、小学校の頃からサッカーをやっていましたので。

祖父の印象としては、一般的なおじいちゃん。 おもちゃやプラモデルを買ってもらったり、そんな関係でした。 今思えば、普通のじいちゃんですけど、すごいオーラがあって近寄り難い雰囲気があったことは記憶にあります。

ただ、祖父は地元ではかなり有名でしたので、蔦監督の孫というだけで、いろんな催事やイベントでは壇上で発表したりする機会は多かったと思います。(笑

ドキュメンタリー映画『蔦監督―高校野球を変えた男の真実―』を撮影したのは実は別の映画を制作している傍らの撮影だったんです。

この作品は、どちらかというと地元の皆さんから是非作品にして欲しいという要望から生まれたのですが、池田高校野球部出身のプロ野球選手や甲子園を目指ざす野球部監督、そして祖父を支えた祖母の話などをまとめ、実質4年ほどの歳月をかけて完成に至りました。

当時、自分の企画で撮影していた作品が現在の徳島県三好市の祖谷という地域に暮らす人を題材にした『祖谷物語 おくのひと』です。

祖谷という場所は、徳島県三好市の秘境と謳われる現在でも原風景が残った場所。 ちょうどその頃、現在の三好市でも「観光」に力を注ぐタイミングでもあったので、地元の自治体との協力で撮影することになりました。

僕の場合、映画の世界では「人間と自然の共生」みたいな部分をどう描くかというテーマがはっきりとあります。 今後の自分のライフワークとしても、そのような映画を撮っていくと思います。

昔は、映画としてヒューマンドラマが主流だったのですが、自分の生い立ちであるこの四国の中心に位置する、徳島県の池田という町に生まれ育った環境から、自然というキーワードからはぶれてないですね。 今で言うSDGsやグリーンツーリズムなどの言葉が流行っていますが、当時からその思いは持ち続けています。

【祖谷物語 おくのひと】

日本最後の秘境と言われる徳島・祖谷(いや)を舞台に、都会からやってきた若者と人里離れた大自然の中で暮らす人々の交流を通し、大地に根ざして生きることの尊さを描いた長編作。

 

第2章では、映画人蔦哲一朗さんのフィルム映画へのこだわりや、地元への想いを深く追求していく。

(取材・文:生野明弘)

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