心が繋ぐマチの歴史|夢とロマンの新山八十八ヶ所   特集

2021.02.15

特集

空海(弘法大師)ゆかりの仏教寺院を巡礼する四国八十八ヶ所お遍路。

室町時代より修行としての巡礼から江戸時代には一般庶民にも広まり、現世ご利益を求めて多くの人々が巡礼に向かった。現代でも願いが叶う、自分探し、パワースポットなど時代とともに変化しながらも多くの人々の心を惹きつけている。

三好市の市街地からほど近い、池田町新山という地域に、全長約4kmの『新山八十八ヶ所霊場』が存在する。            

江戸時代に一般的に広まった四国八十八ヶ所遍路だが、全てを巡るには1,400kmを歩いて旅することになり、時間とお金の問題もあり、誰もが簡単に巡礼することができなかった。文化文政の時代、タバコ産業で栄えはじめた経済的余裕と地域住人の信仰心が相まり、遍路に行けない人達の為にと、ミニチュア版の霊場として作られたのが新山八十八ヶ所霊場だ。

中村屋和右衛門らが四国八十八ヶ所の土を持ち帰り、細田才次郎、森本茂市、酒井八十吉が主に尽力したと池田町史には書いてあるが……。

調べてみると各人の年代は離れており、事実とは違うのではないか?という歴史的ロマン溢れる話から、町全体の歴史についての話を、囲炉裏を囲みながら伺った。話していただいたのは約10年前から新山八十八ヶ所の継承に尽力され、整備等の活動をされている内田悦正さんを含めた有志の皆様。                     

歴史書だけでなく実際に現場に向かい目で確かめ、人から聞いた情報を得ることが大切だと、そして間違っていた場合はその都度訂正していく必要があると話してくれた。

新山にある内田忠宏さんのお宅で囲炉裏を囲みながら語る姿は、秘密基地に集まり悪だくみの計画を立てている少年のような雰囲気も感じる。それだけ新山八十八ヶ所には夢中にさせる魅力が詰まっているのだろう。

新山八十八ヶ所の特徴は本像とお大師様がペアになっていること、これは四国八十八ヶ所のスタイルと同じで、地元の方だけでなく町外からもご利益を求めて多くの人が訪れ、約70年前には地元青年団がアイスの店を出すなどの賑わいがあった。現在は訪れる人の数は少なくなっているが、地域の方々で協力し、草刈等の整備を行いながら歴史を繋いでいる。

新山八十八ヶ所にはそれぞれ石像が安置され、寄進者などの情報が刻まれており、寄進者の中には武家やタバコ製造業で栄えた人、地元池南の農民や新山を開拓した人たちの名前も多くある。

有志のお一人である内田悦正さんの祖先も、17番札所井戸寺の石仏に寄進者「内田儀助」と名前が刻まれている。

儀助さんは江戸時代、池田町にあった代官所に奉公人として入り、苗字帯刀を許されたという内田家のヒストリーも語ってくれた。家系図も拝見し、歴史の繋がりと人の繋がりを見ることで昔の人の暮らしを垣間見られた貴重な時間となった。

新山八十八ヶ所を残していくためにも、まずは地元の方に知ってもらい興味を持ってもらいたいと語る内田さん。新山を歩きながら池田の歴史に触れることで、古くから残る宝でもあるこの町の新たな魅力に出会えるのではないだろうか。

その他にも実は、新山には5世紀頃の古墳や江戸期以前には宝蔵寺など4ヶ所のお寺があり、埋蔵文化財指定地となっており経筒や鏡が出土している。という話や、新山は対岸にある西山が大昔の地殻変動により川を越えてやってきた土地!などなど。

 今回伺ったお話の中にはとても興味深いエピソードもあり、そのお話はまた次回に詳しく紹介していきたいと思う。

知れば知るほど面白くなる、夢とロマンたっぷりの『新山八十八ヶ所霊場 特集』。次回もお楽しみに!

(文/ 中橋 啓太)

 

 

 

 

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