1パック150円のカードゲームが教えてくれた人生で大切なこと。Part2|三好市職員 西涼太さん。

2021.09.14

三好人

あなたは、コンビニの中央の列に子供のお菓子などと一緒に売られている様々なキャラクターが描かれたカードを一度は見たことがあるだろう。もしかしたら子供の頃に近所の友達と一緒にカッコいいカードを自慢しあった方もいるはずだ。そんなカードゲームにハマった西涼太さんは三好市職員として地域の為に働きながら、地元の子供たちにカードゲームを教える先生としても活動している。

前回のパート1は【こちら】で読むことができます。

 

もう自分は小さな子供ではない。

「どうしても、どうしても、どうしても!!・・・やりたかった。でも周囲からカードゲームのような子供遊びを大人である自分がしていると思われる事が怖く大会に出ることが出来なかった。だからカードゲームを辞めてしまった。」

高校を卒業して少し時間を持て余していた西さんに、ある日声をかけてくれた友人がいました。

「押し入れから遊戯王のカードが出てきて、なんだか懐かしくなったから久しぶりに一緒にしない?」

その言葉に一度辞めたとは言え、またカードに触れることに嬉しくなりました。友達の家で遊ぶくらいなら周囲の目を気にする必要もないだろうと考え、当時一緒に遊んだ友人と昔を思い出すように遊びました。それからはまるで抑えたものが溢れるように再びカードゲームの楽しさに魅了され、西さんはカードゲームの世界へ戻ることにしました。

周囲には言えない密かな趣味として再開した

再開したとはいえ「カードゲームしよう!」とはなかなか言えませんでした。しかし大人になった西さんは車という移動手段を手にし、カードゲーム専門のショップなどを通じて同じ趣味を持つ仲間を見つける事ができました。自分の好きな事を否定せず、むしろ一緒に楽しめる仲間がいることの大切さを西さんは知ります。

 

田舎者としての劣等感

当時、西さんの地元である三好市ではカードゲームを大人が楽しむコミュニティは無く、西さん自身も周囲の目を気にしてしまう事と情報が入りづらくコミュニティが狭い田舎者という劣等感に支配されていました。それはカードゲームの仲間同士で話をしている時にも周りに合わせた意見しか言えないという形で現れます。

ある日、そんな様子に見かねた10歳ほど年上の仲間が言いました。

「西くん、その言葉は本当に西くんの本心からの意見かい?西くんの意見を伝えてくれることで俺らは気づかない発想とかが出てくるから本音をぶつけてくれ!」

この一言が今でも衝撃だ、と語ってくれました。

これは今の西さんにある、自分が楽しいと感じる事や行動を自分の意思で決断していく。決して周りから認められたいという気持ちではなく、自分の好きなものに対してまっすぐ真剣に向き合い恥ずかしいものではないという思いに繋がります。

当時、西さんが所属していたコミュニティはいわゆる”ガチ勢”が集まっており、ちゃんと大人も楽しむことができる新しい世界を西さんに教えてくれました。

カードゲームに全力だった日々

ここから遊戯王にかける思いが本気になっていきます。

特にカードと真剣に向き合っていた19歳〜24歳の頃、ミニマリストだと語る彼でも当時は4畳半の部屋がカードで埋まる”カード部屋”と呼ばれる部屋があり、カードの枚数が5万枚を超えるなどその多さにカードに対する愛を感じます。

西さんは次第に自分の力を試しに四国内の高松、阿南、愛媛の仲間を集めて大阪や九州へ遠征に行くようになります。その時の成績は西日本のプレイヤーが一同に集まる関西の大きな大会で好成績を残すほどで西日本では名前が知れ渡るプレイヤーとなっていきます。

2度目のカードを封印する時

24歳の時に地元の為に何かしたいと考え、公務員試験へ挑戦します。その際に、公務員試験に自信のなかった西さんは勉学に集中するために2度目となるカードゲームの封印をすることにしました。

無事に公務員試験に合格しその空白の時間を埋めるかのように復帰一発目に岡山で開催される遊戯王の大会に挑みます。久しぶりに熱い刺激的なゲームができると闘志を燃やした西さんはショックを受けます。

大会の個人成績は3勝0敗。成績としては申し分ありませんでしたが、西さんが一番求めていたのは”良い成績”では無く”良い戦い”でした。もしかしたら強敵が現れて熱くなるような戦いと苦労して掴み取った”勝利”が待っていると期待していました。

その期待が大きかっただけに落胆してしまい、その気持ちのままに遠征の帰りに遊戯王のカードを全て売却してしまいました。

 

小学6年生で止まったマジックザギャザリングへの復帰

西さんが遊戯王を続けていた理由の一つは、憧れのプレイヤーの”J-speed”というプレイヤー名で活動していた原根健太さんの存在です。彼は遊戯王で数々の大会で好成績を残すなど全国トップレベルの選手で、「原根さんと大舞台で戦いたい」という思いが西さんの目標でした。原根さんが遊戯王からマジックザギャザリング(以下MTG)へ移行したという出来事を耳にしていた西さんは彼を追いかけるようにMTGへ移行します。

MTGの良いところはそもそもの競技人口が多いことです。さらに大会が世界規模で開催され、スポンサーや企業側からプレイヤーのモチベーションを上げるための工夫が施されています。特に西さんは日本代表という肩書きに憧れを持ちMTGの世界へハマっていきます。

甘くない世界トップレベルのカードゲーム

西さんはまた天狗になっていました。

遊戯王で上位にいた西さんは、日本で人気もあり競技人口が多かった遊戯王で好成績を残したのだから、MTGの世界でも1年あれば上位にはなれると考えていましたし、MTG日本代表にも順調になれるだろうと慢心していました。

しかし世界レベルのカードゲームは甘くありません。出場する大会では敗北を繰り返し、大会の成績は4回に1回勝てれば良い方という成績でした。

しかし、西さんが本当に求めていたのはこの悔しいという経験でした。

天狗になっていた西さんにとって、ここまで歯が立たないという結果は逆に彼を熱くしました。「1年もあれば日本代表になれる」と考えていた西さんは考えを改め3年計画にシフトチェンジすることにしました。中期的な計画を立て、仲間と切磋琢磨することで実力に磨きがかかり、次第に挑戦する大会を大きくしていき、世界大会を目指しました。しかし、ここで「西さんのメンタルの弱さ」という大きな課題が浮き彫りになります。

スポーツでも芸術でも大会が大きくなればギャラリー(観覧者)が増えます。西さんはギャラリーからの視線に緊張と自身の考えを見透かされているような気持ちになり、思うようなプレイができない時期がありました。

「正直、今でも誰かに見られていると思うと集中できなくなるし、克服もできてはいないけど、事前の”準備”がしっかりとできていれば自信を持って本番に挑めます。なので、MTGをプレイするようになってからは今まで以上に”準備”を大切にするようになりました。」と語ってくれました。

3年目が過ぎた頃には四国大会でも良い成績を残せるようになり、仲間を連れて全国大会に出場しトップ8まで残るようなプレイヤーへと成長することができました。当初の目標であった”世界大会に出場”とまではいかなかったものの、西さんの人生を豊かにしたのはいうまでもありません。

現在は趣味としてMTGをしている西さんですが、そんな”カードゲーム”の知識と経験を生かし三好市での活動に力を入れています。そんな西さんの活動をパート3で紹介します。

 

西涼太さん

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