三好市に新しい風を吹かせたい、6周年を前にこれまでを振り返ってもらう【part1】|イタリア料理店イスバ 坂田直己さん
2022.05.05
徳島県三好市 地元で愛され続けるイタリアンを受け継ぎ、更に進化させた坂田さん
徳島県三好市井川町辻に、国道192号線沿いを走っていると目に入るログハウス風のお店カフェレストイスバは、昼はカフェ夜はイタリアンバールと2つの顔を持っています。
店内は昔ながらの喫茶店の雰囲気も残しつつすっきりとしていて、カウンター上にずらりと並ぶグラスがここはバールでもあるよと主張しています。
バールとは、「イタリア・スペインなどの南ヨーロッパで軽食や喫茶店 、酒場 (バー)のこと」を指す言葉です。日本では2005年頃からバールまたはバル形式の飲食店が増えてきましたが、三好市ではまだ珍しいかもしれません。
近く6周年を迎えるという事で、店主の坂田直己さんにお話を伺いました。
物心ついた時には料理が身近にあった子供時代…料理人の父の影響で、目指し入った料理の道
元々イスバは坂田さんのお父様が開いたお店で、坂田さんにとって料理は非常に身近なものだったので、料理人への道を選んだのは自然な事でした。
大阪あべのにあるエコール辻大阪の、フランス・イタリア料理専門カレッジを卒業。専門学校時代を聞くと「苦労話、失敗話はあり過ぎて困る位あります。我が強かったので恐らく問題児でした」と苦笑い。
卒業後は大阪の有名イタリアンで修行を積む 厳しかったが大事な事を学んだ下積み時代
卒業後、大阪心斎橋「ALBA(アルバ)」、淀屋橋「Marble tre(マーブルトレ)」などで修行されました。「大阪時代はずっと修行していた」と坂田さん。どんなジャンルの料理人でも、まずは下積みから。
「メインを触る事も、火を使うような事もない。サラダの葉っぱをちぎったり、納品された野菜の片付けから始まる」と下積み時代を語ってくれました。
「1番下の下っ端が市場へ買い出しに行くというルールや、先輩が来る前にここまではしておくというものがあった。朝の6時に原付を走らせて市場で買い物をし、7時に店にいく。朝7時半とか8時前に支度して、8時半から仕込みを始めて、店の営業終了後も夜2時~3時に帰ってくる生活で、20代の前半が1番しんどかった!先輩より早く来て先輩より遅く帰る、そんな生活を5年続けた」とも仰っていましたが、その下積み時代あってこそ今があるのでしょうね。
日本有数のピッツェリアのシェフに抜擢!とにかく走り続けた料理長時代
大阪天満「PIZZERIA&BAR girasole RICCO(ピッツェリア&バー ジラソーレ リッコ)」のオーナーシェフから直々に声がかかり、料理長に就任。ピッツェリアは主にピザを専門に提供するイタリア料理店で、基本的に専門のピザ焼き職人がピザを焼きます。オーナーシェフはgirasole RICCOのお店の立ち上げから在籍し繁盛店にしてきた方で、ナポリで開催されたピッツァ職人世界大会のクラシカ部門で準優勝したこともあるピザ職人。
なので、突然の申し出に嬉しい反面、驚きを隠せなかった坂田さん。というのも、坂田さんはイタリア料理を勉強し修行も積みましたが、ピザを専門としていた訳ではなかったからです。
新装開店し、ぐっと上り調子できていた店が、更に大きな2店舗目を出すタイミングでの出来事でした。2号店へオーナーシェフが移る為、1号店で空席になるシェフを坂田さんが務める事に。
引き継いだ1号店の味を守りながら自分の色を少しずつ出していった
「料理する人間ですけど良いんですか?」と尋ねるとオーナーシェフから「育てた後輩へピザを任せる」と言われ引き受けたものの、ずっと葛藤がありました。
「ピザは作らないけどシェフをするとなると、お客さんからしたら見下されたように見えたと思う。特に常連さんから見たらすごく弱い立場だったし、そのタイミングで離れたお客さん…オーナーシェフの作る味に付いていたファンが離れてしまうという事も勿論あっただろう」と振り返ります。
人気店には料理人のファンが沢山いて、料理人が店を離れるとなると、その料理人の味についてきたファンが新しく移った店に流れてしまうのはよくある事です。
「ずっと下積みの下っ端だったし、シェフをした経験もなかった。特に名前を出して仕事してた訳ではないので、自分のお客さんを作るのが大変だった。目標も特になく、とにかく必死だった。未経験のポジションで、店を傾かせる訳にはいかないプレッシャー。余裕ができて自分の色を出して行くまでは前しか見ていなかった」
料理人なら自分の色(味)で勝負したいと思うのは、至極当然な気持ちです。
「ピッツァの専門店だったのでピザが消えてしまうから、余り頑張らないでと言われた事もあった。あくまでピザがメインだからと制限をかけられ、パスタや攻めたメニューを出したりすると店の雰囲気と違ってきてるよとか言われる。自分にブレーキをかけるのって正直めんどくせーなと思った」専門学校時代の「我が強かった」がチラッと顔を覗かせましたね。
幸いオーナーからは何も言われる事もなく、やりたい様にやらせてもらいながら3年在籍し、坂田さんのファンも増え前年からの売り上げも上がっていた頃、再び転機が訪れます。
次回は、坂田さんに訪れた転機、地元に戻ってからについて引き続きお話を伺います。
【次の記事はこちら】
>>イタリア料理店イスバ【part2】坂田さんに訪れた転機、地元三好市に戻ってから
>>イタリア料理店イスバ【part3】坂田さんが見つめるイスバのこれからとは?
カフェレスト イスバ
【facebook】【instagram】
営業時間 8:00~20:00
TEL 0883-78-3090
住所 徳島県三好市井川町辻201-1
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諏訪神社
祭神は「建御名方神(たけみなかたのかみ)」で、例祭は10月18日であるが、近年は4月第1日曜日にも行い、10月には神輿の渡御と巡幸が行われ、大晦日に除夜祭を行う。
由緒沿革に、中世13世紀に阿波の守護になった小笠原氏が生国の信濃から諏訪大社の分霊を勧請して大西池田城の守護神として祀ったとされる。
祭神の「建御名方神」は「大国主神」の子で、国譲りの際に「武甕槌神(たけみかづちのかみ)」と力くらべをして敗れ、信濃の諏訪湖に逃げ、その国を出ないと誓って許されたという話が『古事記』にある。
社地に向かうには学園通り側の鳥居と、書院橋からの階段通路と千五百河原側の階段残余分の合点にも鳥居があり、手前右に「百度石」、左に手水鉢があって、境内西側には様々の記念碑が点在・建立されている。 -
うだつの町並み・阿波池田うだつの家たばこ資料館
交通の要衝として、たばこ等の集積地として発展した池田の旧街道に残る古いたたずまいは、どことなくさびしげで、ひとりもの思いにふけりたくなるような町並みである。幕末から明治にかけて繁栄したたばこ製造業者の旧居宅をたばこ歴史資料館として残す。百年以上を経過した今でも当時の繁栄振りを想像させる。中庭は四季折々の美しい花が咲く。
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池田へそっ湖大橋
吉野川・池田ダム湖に架かる、ランガー形式のバランスドアーチ橋(世界一)。
5径間連続バランスドコンクリートアーチ橋はここだけ。
四国のほぼ中心に位置し徳島自動車道にある。
橋下には、池田ダム湖、水際公園がある。
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