Scene IV-2
Scene IV-4
河内谷付近は、中央構造線活断層系池田断層(西側)から三野断層(東側)に移行する部分です。三野町上野地区での調査から、三野断層が最後に活動(地震を起こした)のは、14~15世紀ごろと考えられています。
Scene V-7
Scene V-9
三野町にはたくさんの扇状地を見ることができます。扇状地は、谷から流れてきた土砂が平地に運ばれ、たまることによって、扇に似た地形になったものです。太刀野には、断層崖のすぐ南側の平地にいくつかの扇状地が作られています。
Scene V-10
王地小学校がある付近は、滝谷川から運ばれてきたレキや砂がたまってできた扇状地です。扇状地の土地はレキや砂からなるため、平地に比べると水はけが良いのが特徴です。そのため、この周辺では水はけの良い地で育てやすい果樹(はっさく・はれひめ)などが栽培されています。
Scene V-11
高瀬谷川から流れるレキや砂がたまってできたのが、清水地区の扇状地地形です。高瀬谷川を貫く県道12号線を通ってみると、平野部低地から高瀬谷川に向かうにつれて、上り坂になっていく様子を感じることができ、扇状地地形ならではの様子を体感することができます。
Scene V-12
河内谷川にある三野体育館やグラウンドがある場所は、讃岐山脈が運んできたレキや砂がたまってできた扇状地です。このすぐ隣にある河内谷川は、時々、「水無川」となっている光景を見ることができます。これは、上流部で水が地下に浸透して(伏流水になって)しまうのが原因です。
Scene V-17
三野町にもいくつか、吉野川の侵食と土地の隆起によって作られた河成段丘があります。芝生の河成段丘上では、岩角の釜所から引かれた三村用水が流れており、稲作などの農業がなされています。
Scene VI-C-1
Scene VI-C-2
Scene I
四国山地(北側)の素ができるまで(海底でたまり、地下で圧力を受ける時代)
Scene II
地下から地表に現れる時代
Scene III
讃岐山脈の素ができる時代(海盆の時代)
Scene IV
讃岐山脈が盛り上がり始めた時代
Scene V
吉野川沿いに平野が作られる時代
Scene VI-E
大地と共存しながら生きぬく時代(生態系)
Scene VI-C
大地と共存しながら生きぬく時代(歴史文化)