Scene IV-1
Scene IV-3
池田町箸蔵の新猪鼻トンネルの法面に大きな4つの窓があります。ここは、中央構造線池田断層の断層露頭が見られる場所で、一番南側の窓に断層面を観察することができ、北へ向かうに連れて断層によって破砕された度合いが弱くなっている様子を見ることができます。
Scene IV-5
箸蔵小学校の北側には、一段高い崖があります。これは、中央構造線箸蔵断層の活動(地震)によってできた崖で北側の方がより高くなっています。箸蔵地区には、池田断層と箸蔵断層が平行に貫いています。
Scene V-1
Scene V-2
Scene V-3 Scene V-4
Scene V-5
鮎苦谷川の西側にある入体地区は緩やかな傾斜面に築かれた集落です。この緩やかな地は昔、地すべりが起こって作られた土地です。入体地区周辺の地すべり地形を観察できるポイントとして、鮎苦谷川対岸の落地区にある展望所があります。
Scene V-6
Scene V-8
Scene V-13
Scene V-14
Scene V-15
吉野川中流域で平野部が作られ始める箇所の一つがこの中西地区です。ここには三好市の中でももっとも多く採掘されていた鉱山(三縄鉱山)があり、戦後まで採掘されていました。三縄鉱山から採掘された鉱石は、鉄道が開通する前は、吉野川の舟により運搬されました。鉄道開通後、戦前までは九州佐賀関に、戦後は愛媛県新居浜に汽車で運ばれていました。
Scene V-16
Scene V-18
Scene V-19
Scene VI-C-4
Scene VI-C-5
諏訪神社はウエノヶ丘の一番東の端にある神社で、池田大西城を治めた小笠原氏の氏神として創建されたが、小笠原氏がこの地を去ると一旦衰退したといわれています。その後中世から近世にかけて吉野川の水運が盛んになると、ちょうど吉野川から見上げた位置にあることから、水運を守る神として崇敬されるようになり、更に池田町が商工業の町、刻み煙草の町として発達するとともに社運も盛んになったといわれています。 また、諏訪神社の東側にある河原は、千五百河原と呼ばれており、昔、帆かけ舟の発着場として栄えた場所でした。
Scene VI-C-8
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吉野川中流域で平野部が作られ始める箇所の一つがこの中西地区です。ここには三好市の中でももっとも多く採掘されていた鉱山(三縄鉱山)があり、戦後まで採掘されていました。三縄鉱山から採掘された鉱石は、鉄道が開通する前は、吉野川の舟により運搬されました。鉄道開通後、戦前までは九州佐賀関に、戦後は愛媛県新居浜に汽車で運ばれていました。
Scene I
四国山地(北側)の素ができるまで(海底でたまり、地下で圧力を受ける時代)
Scene II
地下から地表に現れる時代
Scene III
讃岐山脈の素ができる時代(海盆の時代)
Scene IV
讃岐山脈が盛り上がり始めた時代
Scene V
吉野川沿いに平野が作られる時代
Scene VI-E
大地と共存しながら生きぬく時代(生態系)
Scene VI-C
大地と共存しながら生きぬく時代(歴史文化)