Scene I-7
今のように鉄道や道路が整備される前、交通手段として活用されていたのが、吉野川を活用した水運でした。井川町辻の河原には昔、対岸を行き来するための場”渡し場”がありました。この渡し場の岩盤は、紺色をした青色片岩と呼ばれる固い石でできています。
Scene II-16
三好には山頂に平らな土地を持つ場所(小起伏面)がいくつかあります。標高は約900mにある井川町多美にも山頂付近に平らな土地があり、ここでは、湿地に生育するサワギキョウが確認されていますが、その個体数は昔に比べて少なくなっています。
Scene II-19
Scene VI-E-5
三好には山頂に平らな土地を持つ場所(小起伏面)がいくつかあります。標高は約900mにある井川町多美にも山頂付近に平らな土地があり、ここでは、湿地に生育するサワギキョウが確認されていますが、その個体数は昔に比べて少なくなっています。
Scene VI-C-6
Scene VI-C-7
辻のまちなみから祖谷へ抜ける街道として利用されていた街道の一つがこの水ノ口峠です。この街道は尾根沿いを通る街道で、祖谷で栽培された葉たばこがこの街道を通って、辻の街まで運ばれていました。
Scene VI-C-10
八石城は、池田町湿川や井内谷、祖谷をつなぐ街道沿いに築かれており、井内谷の急峻な地形、標高約800m付近の尾根の先端に建築された中世の山城です。敷地内にはこぶし大の円レキが用いられており、城としての土地として活用されていたと考えらえています。
Scene VI-C-24
Scene VI-C-29
Scene I
四国山地(北側)の素ができるまで(海底でたまり、地下で圧力を受ける時代)
Scene II
地下から地表に現れる時代
Scene III
讃岐山脈の素ができる時代(海盆の時代)
Scene IV
讃岐山脈が盛り上がり始めた時代
Scene V
吉野川沿いに平野が作られる時代
Scene VI-E
大地と共存しながら生きぬく時代(生態系)
Scene VI-C
大地と共存しながら生きぬく時代(歴史文化)