三好ジオパーク構想の大地の物語


三好の大地の成り立ち、人とのつながり

1) 大地の成り立ち

三好の大地には、約3億年前から現在までの地球の活動の記録が残っています。例えば、約3億年前の浅い海底で息づいていた生物の痕跡、1〜2億年前に海底に堆積した堆積物や火山噴出物が地下十数kmに運ばれ生まれ変わったもの、そして約7500万年前の海盆に息づいていた生物たちの痕跡などがあります。それらは時代ごとのプレート運動に左右されて引き起こされた“大地の切れ目”こと“中央構造線”の活動(地震)によって、集積し、隆起し、四国山地や讃岐山脈などの現在の三好の特徴的な地形を育みました。そして、四国山地や讃岐山脈の形成は、吉野川の流路に大きく影響を与え、三好をはじめとする徳島県の歴史文化の礎を築いたのです。
このような特徴的な三好の大地の上では、昔も今も地質・地形的特徴を活かした暮らしが営まれています。

三好の大地の成り立ちがわかる6つのシーン

シーン1:四国山地(北側)の素ができる時代

三好の北域をほぼ東西に貫く“大地の切れ目”こと“中央構造線”。これより南側の三好の大地には、約3億年前から7000万年前までの段階的な海底の様子が岩石中に記録されています。これらの岩石は、海洋プレートの運動により大陸プレート境界まで運ばれ、大陸プレートの下に沈み込み、地下十数kmで圧力を受けました。このような過程の様子を3つの地質帯中の岩石から伺うことができます。

三好の南東部には西日本で第2の高峰、剣山があります。この付近は秩父帯(秩父北帯)と呼ばれる地質帯からなり、約3億年前(古生代前期ペルム紀)の礁の痕跡である石灰岩、約2億4千万年前の放散虫・コノドントなどを含んだチャート、1億6000万年前〜2億年前の放散虫を含んだ泥岩などから構成されています。剣山山頂にある大劔(おおつるぎ)神社付近には、石灰岩露頭が現れています。

秩父帯(秩父北帯)の北側には、三波川帯と呼ばれる地質帯が分布しています。この地を構成している岩石はもともと、海底に噴出した溶岩や火山灰や、大陸で削られ海底に運搬された礫や砂や泥の堆積物です。これらの岩石はプレート運動によってアジア大陸の東縁に運ばれ、大陸プレートの下に沈み込み、地下十数kmで圧力を受けて、結晶片岩という岩石に生まれ変わりました。結晶片岩には、祖谷渓や大歩危で見られる含レキ片岩や砂質片岩、チャートが結晶片岩となった紅レン石片岩、泥岩が結晶片岩となった泥質片岩、そして”阿波の青石”として親しみのある緑色片岩などがあります。

三波川帯の南縁付近には、御荷鉾(みかぶ)帯と呼ばれる狭小の地質帯があります。御荷鉾帯にある緑色岩類は、約1億5000万年前に地球深部から海底へ噴出した溶岩で、海台を作り出していました。この溶岩からなる海台も、沈み込み運動によって地下に運ばれ、圧力を受け、緑色岩という岩石に生まれ変わりました。

このように、約3億年前から7000万年前までの断片的な時代の海底下の様子、そしてプレートの運動によってこれらの岩石が地下で圧力を受け、結晶片岩として生まれ変わった姿などを様々なジオサイトを通して観ることができます。

シーン2:四国山地の素が地下から地表に現れる時代

シーン2は、地下で圧力を受けて生まれ変わった岩石たちが、地表に隆起する時代です。約6000万年前に中央構造線に沿って引き起こされた、地下十数kmからの三波川帯の結晶片岩類の上昇(絞り出し)によって地表に現れました。そして約300万年前から開始したフィリピン海プレートのユーラシアプレートへの北西方向への沈み込みに伴い、四国山地の隆起が始まり、急峻な地形を形成しました。これらの様子は、大歩危・小歩危の背斜構造、獅子岩、ポットホールなどで観察することができます。

シーン3:讃岐山脈の素ができる時代

現在中央構造線の北側では、砂岩泥岩互層から成る讃岐山脈が東西方向に広がっています。

中央構造線の運動方向は、その時々のプレート運動に影響を受けて変化してきました。今の讃岐山脈のあるエリアは約8000万年前には、中央構造線の左横ずれ運動によって海盆が形成され、陸から侵食・運搬されてきた砂や泥がこの海底に堆積していました。

この海底の痕跡は、池田ダムの砂岩泥岩互層や下野呂内河床にある生痕化石などで観察することができます。

シーン4:讃岐山脈が盛り上がり始めた時代

現在の中央構造線の活動方向は、右横ずれ運動と北の大地が数十cmほど隆起する運動(逆断層運動)が合わさったものです。これは約300万年前から開始した、フィリピン海プレートのユーラシアプレート下への北西方向の沈み込みと、日本列島の東西圧縮が要因です。この活動が、現在の三好の北域にある讃岐山脈やその周辺の地形に大きな影響を与えました。

約300万年前から活発になった現在の中央構造線の断層運動により、その北側に位置していた砂岩泥岩互層から成る大地は隆起し始め、徐々に讃岐山脈を作り上げていきました。讃岐山脈が盛り上がりつつあった約120万年前までは、吉野川は大歩危からそのまま北流し、現在の香川県三豊市を通り、瀬戸内海に流れ込んでいました。

讃岐山脈の隆起の要因となった中央構造線の中で、三好市内で現在見られる中央構造線活断層系は池田断層、箸蔵断層、三野断層などがあります。また、それらに付随する断層(三野町の芝生衝上断層)も観られます。

シーン5:吉野川沿いに平野が作られる時代

約120万年前、讃岐山脈が当時の吉野川の北流を防ぐほど高く隆起したため、吉野川は池田地区付近で東流し始め、現在の流路が形成され、三好市池田町より下流側に平野が形成し始めました。また讃岐山脈の急激な隆起は、讃岐山脈の地すべりを発達させる要因にもなりました。

讃岐山脈の隆起は、吉野川北岸の平野形成に拍車をかけました。讃岐山脈の隆起に伴う山地の侵食により、吉野川北岸平野部に扇状地が発達し、水はけの良い地が北岸平野部に広がりました。

讃岐山脈の隆起にともない形成された地すべり地形は、池田町馬場・西山地区、シンヤマ地区などで観察できます。そして、扇状地地形は三野町の平野部(芝生・勢力・清水地区など)で、吉野川の東流に伴い形成された河岸段丘は、池田町や三野町や井川町辻で各々観ることができます。

シーン6:人々が大地と共存しながら生き抜く時代(現在)

上記のような過程で形成した三好の大地の上では、特有の地質・地形と共存しながら生き抜いてきた生態系や人々の歴史文化が育まれてきました。特有の大地の上で育まれた独自の生物や生態系については各エコサイトで、特有の大地の上で築かれた歴史文化は各カルチュラルサイトで観ることができます。

2) 大地と深く結びついた三好の文化

三好ジオパーク構想には、特徴的な地質・地形の上で共存してきた人々の歴史文化を感じられる箇所(カルチュラルサイト)がたくさんあります。

ソラ(傾斜地集落)という地で暮らしてきた人々の工夫や歴史

・傾斜地で継承されてきた独自の農法、農作物、食

・急峻な土地で暮らすために伝承されてきた妖怪伝説

・水はけの良い土地で生まれた雨乞踊(無形文化財)

・傾斜地集どうしをつなぐための交通路(尾根沿に発達した街道、かずら橋など)

・急峻な土地や地形を活用して建てられた山城や寺院

・傾斜地で暮らすために工夫して建てられた屋敷や家屋

マチ(平野部)で暮らしてきた人々の工夫や歴史

・吉野川の河成段丘上に築かれたまちなみ

・吉野川を活用した産業(刻みたばこ、水運)

・水はけの良い吉野川北岸の地で工夫された水の確保の歴史(ため池、灌漑用水)

・吉野川や支流で引き起こされた洪水の歴史

見どころ(各サイト紹介)

「大地の切れ目が作り出す、山地山脈と吉野川の流れ」を感じられる場所が三好ジオパーク構想です。

三好ジオパーク構想には、”マチ”と呼ばれる平野部と”ソラ”と呼ばれる山間部があります。
マチやソラには様々な歴史文化があり、特徴的な生き物たちがいます。…これらの生い立ちやつながりを紐解いていくと地球(ジオ)とふか〜く結びついていることがわかります。

さぁ、三好ジオパーク構想がどうやってできたかを探りに行こうっ!!